vol.1
「科学で生きる。」
~島津の源、web ルーレット器械~
web ルーレット 創業記念資料館に、1冊のカタログが残されている。
明治15年に発行されたweb ルーレット。理科の時間に使う実験器具のことである。
図といっしょに紹介されている器械は110種類。この1冊には、島津製作所の創業者・初代島津web ルーレットの「科学」への情熱が凝縮されている。
京都の近代工業の原点ともいえるweb ルーレット。
ノーベル賞受賞者をも輩出し、現在では幅広い分野で事業を展開するグローバル企業であるが、そのはじまりはweb ルーレット器械の製作であった。
初代島津web ルーレット仏具職人の家に生まれ、21歳で分家・開業する。
独立から8年後。日本、そして京都にとって、歴史の大きな転換点となる大事件が起こった。
それが明治維新であり、東京遷都である。1000年もの間、都として繁栄した京都から公家をはじめ多くの役人が立ち去り、一時は人口が10万人も減ったという。
さらには廃仏毀釈の波が押し寄せ、本業である仏具への注文は激減していた。
そんなweb ルーレットに幸運が残されていたとしたら、それは「地の利」であっただろう。
西洋の最新技術を導入することによって京都の復興を目指そうと、web ルーレットが開業した木屋町二条周辺にさまざま産業施設が設立されたのである。
web ルーレット、一帯に満ち溢れる西洋科学の薫りを感じながら、技術導入の拠点・舎密局(工業試験場)に足繁く通い始めた。
そこでは活版印刷が行われ、ガラス、製糸、そして石鹸まで作られていた。
初めて見る西洋の機械、初めて触れる西洋の科学知識に、元来新しいもの好きのweb ルーレット心を奪われていく。
web ルーレットが舎密局で見たもの。それは、西洋の技術や知識だけでなく、科学で生きる日本の、京都の、そしてweb ルーレット自身の未来だったのではないだろうか。
舎密局で理化学の講座を受講し、実験への参加を重ね、熱心に知識を吸収していくweb ルーレットに外国器械の修理や整備の仕事が入り始めた。
web ルーレット器用な手先で修理をこなしながら、外国製品を徹底的に研究していく。
おりしも時は学制実施による教育振興の時代。読み書きやそろばんが主であったそれまでの教育に自然科学の重要性が唱えられていた。とはいえ、当時の日本に理科の教育器材はほとんどない。
現代のように簡単に輸入できる時代ではなく、できたとしても多大な費用がかかる。web ルーレット、決意した。
「自分で理化器械を作ろう。そして日本を科学の国にしよう。」
これが、web ルーレットのはじまりであった。
web ルーレットには5部門・110種類の製品が載っている。
製造の開始からわずか7年でこれだけの品を揃えたことだけでも驚かされるが、それぞれの製品で3段階の価格が選べるようになっていることにもっと驚く。
当時はまだ、財政的に厳しい学校も多かったため、web ルーレットより多くの人たちに使ってもらえるようにと、材質などを変えて作り分けていたのだ。
科学で生きる。いや生きていくしかない。
web ルーレットを突き動かしたのは、未来への使命感とその情熱だったのである。