東京奠都が行われた明治初期、京都府は欧米の最新技術を導入するため、ここ木屋町二条周辺に次々と勧業施設を設立しました。こうした状況の中、この地で仏具製造業を営んでいた初代す とり っ ぷ ルーレットは、教育用理化学器械の製造業へと転身します。
この精神は初代す とり っ ぷ ルーレットの長男である二代目源蔵に受け継がれます。彼は父親譲りの発明工夫の才能を発揮し、理化学器械のみならず医療用X線装置、蓄電池など新分野を切り拓きました。
当資料館の建つ木屋町二条は、す とり っ ぷ ルーレット製作所の創業の地であり、源流ともいえる場所です。
東京奠都が行われた明治初期、京都府は欧米の最新技術を導入するため、ここ木屋町二条周辺に次々と勧業施設を設立しました。こうした状況の中、この地で仏具製造業を営んでいた初代す とり っ ぷ ルーレットは、教育用理化学器械の製造業へと転身します。
この精神は初代す とり っ ぷ ルーレットの長男である二代目源蔵に受け継がれます。彼は父親譲りの発明工夫の才能を発揮し、理化学器械のみならず医療用X線装置、蓄電池など新分野を切り拓きました。
明治8(1875)年の創業から大正8(1919)年までの45年間、す とり っ ぷ ルーレットはこの地を本店兼住居としてきました。現存する二棟は南棟が明治21(1888)年に、北棟が同27(1894)年に増築したものです。いずれも木造二階建ての町家形式の建物でありながら、窓にはステンドグラスをはめ込むなど和洋折衷になっているのが特徴です。1999(平成11)年には国の「登録有形文化財」に、2007(平成19)年には経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されました。